座右の銘

「自分がつまらないと思うとき、周りから一番つまらないと思われている」

聞いたのは随分前だし、誰が言ってたかすら忘れてしまったんだけど、とてもシックリきた言葉。年々色んなシックリを取り込んでは剥がれ落ち、この言葉が残ったという感じがする。

原因は己にある。自分が感じる前に、すでにまわりは同じことを感じてる、しかも自分に対して。これは結構応用が効く感覚で、しかもハッとすることが多い。

感情は正直だ。それでいい。それが素の自分だから。

「でもつまらない!」と思える人は強い人だ。自分の中にぶれないモノサシがある人は、いつでもそのモノサシで物事を測り、自分の行動を決定できる。至極真っ当。そのモノサシをできるだけ正確なものにするために努力してきた人。そういうホームランバッターが時代を築いていく。人を引っ張っていくべきリーダーだ。

そのモノサシは人それぞれ大きさも形も単位も違う。だから、自分の磨き上げたモノサシを武器に人は戦う。多かれ少なかれ、社会や人間関係ってそういうことだと思ってる。この人と合わないなんて感じるときは、モノサシの形が違いすぎたり、人のモノサシをリスペクトできない人じゃないかな。

ただ自分は、自分で磨いたモノサシにあまり興味がなくて、いつでも相手のモノサシで戦いたい。そこに喜びを感じる。性格であり、一種の性癖かもしれない。根底にあるミーハー心はここからきている。

自分はそういうタイプの人間だから、じゃあ、いまここで何をすべきか。常に自分がホームランバッターではない意識を持ちながら、自分にしかできないポジションは何か。

「つまらない!」から、「周りからつまらないと思われているなんてつまらない!」に変換した結果、まず何を口に出せば状況を打破できるのか。

そういうことを考えさせてくれる言葉なのですよ。

ホーム

自分の居場所を決めるということは、見送られる立場を卒業して、人を見送り続けるということでもある。

ふと立ち止まって、昔いた自分の居場所を思い浮かべたとき、自分はここに居たんだと自信を持って、また明日へ進んでいけるような、そういう場所を作らねばと思いながら、終電を待つ。

岡山に住んでいる。これからも住み続ける。

広く深く

岐阜の親戚が所有している別荘に来ている。新緑に青空、少し雪の残った白山。途中メタセコイア並木に立ち寄ったり、郡上八幡城に登ってみたり、のんびりしたGWを過ごしてる。

馬瀬川温泉、美輝の里という施設の温泉に入り、露天風呂で親戚と話していたら、向かいにいたおっさんが会話に入ってきた。このおっさんの話が止まらない。近場の温泉のこと、コゴミやフキやコシアブラなどの山菜の取り方や見分け方、御嶽山の登山ルートの違い、白山神社の話、どこやらはマナーが悪くて一般客は入れないやら、どこやらの神社の話やら。(色々忘れた。メモしたかったけど、あいにく手ぶらで全裸だった。)

おっさんは「山菜」と書かれた引き出しを開けると、物凄い種類の山菜がわんさか溢れていて、ガサッと掴んでは見せてくる。こちらは「岡山」と書かれた引き出しを開けても空。逆におっさんの「岡山」と書かれた引き出しには、こちらが住んでいる近くの温泉まで入っていて、完敗である。

岡山来ても何も無いよ。と言う自虐が岡山人あるあるになってるけど、長年住んでて何も無いなんて答えるのは卑怯というか、面白く無いのは岡山じゃなくてお前自身じゃないかという気がしてきて、恥ずかしくなった。

何を面白いと思えるか。そして、その人が心底面白いと思って話す話は、それだけで面白い。そこに都会も田舎もブランドも建前も人の目もないっちゅうことだと。これはちゃんと生活を見直さないと、つまらん生活を送ってしまってるなと反省してしまった。

温泉の帰り道、道の駅に足湯があった。ここも以前は温泉があったらしい。立ち寄ったスーパーに山菜がパック詰めされて売っていた。コゴミを初めて見た。コシアブラはこちらではコンゼツというらしい。全部おっさんの知識だ。

別荘に帰ってきて、どうしても自分でコシアブラが取りたくなって、山菜採りについて行った。教わりながら、成長しすぎてないコシアブラをちぎり、鼻に近づけると良い香りがした。この香りがしないと違う種類らしい。おっさんの知識だ。

何事も深く知ることは大事だ。細かい面白話をドヤ顔で語れるおっさんに、オレもなりたい。

やれば終わる

やりたいことが増えると、やれない自分に嫌気がさすことも増えたりして、じゃあのんびりしようかと思うと、何してんだオレはってな具合。

GW前半最終日。去年の夏からほったらかしで、見て見ぬ振りをしていた雑草だらけの庭を一掃。

「やれば終わる。やらないと終わらない。」案件の終盤に雑念が入りそうになると、念仏のように脳内で繰り返す言葉。やれば終わるという何の根拠もない救いにしがみついて気持ちを立て直すんだけど、でも本当に大抵のことは、やれば終わる。

ということで、ナスナスオクラシシトウシシトウピーマンピーマンシソの苗を植え付けて完了。

やりきった成果物は、ビールのアテになるほど気分が上がる。単純だ。

晴れた日

辞めたり離れたりしてから気付く、やり残した後悔とか、今ならみたいな反省とか。そう思うかもしれない未来より少し前の今。

瀬戸内の海も、もしかしたらその一つかもしれないなんて、コーヒー飲みながらのんびりしてた。

児島のNALUという海の見えるカフェ。テラス席が気持ちいい季節ですです。

2018

ここ何年もWordpressの投稿画面を開くのが億劫になっていて、片付いてない自分の部屋を見ているような感覚が、ずっと気になってて。自分が何者なのか、普段何してるのかを、ちゃんとアウトプットしていかないとなあという最近の思いとは裏腹、この散らかった部屋で勝負するのは無理あるなあということで、9年ほどのんびり続けてたブログを、思い切って消してみた。

ふとしたときに湧いてくるニヤニヤするような感情はTwitterにぶつけることが多いんだけど、ここではもう少しどっぷりとしたニヤニヤを書き残せたらいいなあ。のんびりと。