座右の銘

「自分がつまらないと思うとき、周りから一番つまらないと思われている」

聞いたのは随分前だし、誰が言ってたかすら忘れてしまったんだけど、とてもシックリきた言葉。年々色んなシックリを取り込んでは剥がれ落ち、この言葉が残ったという感じがする。

原因は己にある。自分が感じる前に、すでにまわりは同じことを感じてる、しかも自分に対して。これは結構応用が効く感覚で、しかもハッとすることが多い。

感情は正直だ。それでいい。それが素の自分だから。

「でもつまらない!」と思える人は強い人だ。自分の中にぶれないモノサシがある人は、いつでもそのモノサシで物事を測り、自分の行動を決定できる。至極真っ当。そのモノサシをできるだけ正確なものにするために努力してきた人。そういうホームランバッターが時代を築いていく。人を引っ張っていくべきリーダーだ。

そのモノサシは人それぞれ大きさも形も単位も違う。だから、自分の磨き上げたモノサシを武器に人は戦う。多かれ少なかれ、社会や人間関係ってそういうことだと思ってる。この人と合わないなんて感じるときは、モノサシの形が違いすぎたり、人のモノサシをリスペクトできない人じゃないかな。

ただ自分は、自分で磨いたモノサシにあまり興味がなくて、いつでも相手のモノサシで戦いたい。そこに喜びを感じる。性格であり、一種の性癖かもしれない。根底にあるミーハー心はここからきている。

自分はそういうタイプの人間だから、じゃあ、いまここで何をすべきか。常に自分がホームランバッターではない意識を持ちながら、自分にしかできないポジションは何か。

「つまらない!」から、「周りからつまらないと思われているなんてつまらない!」に変換した結果、まず何を口に出せば状況を打破できるのか。

そういうことを考えさせてくれる言葉なのですよ。