足がつかない

ここ10年。海に溺れて、息継ぎが下手で、沈む!沈む!!って思いながら泳いで、ギリギリ手が届く場所にたどり着いて、ぜえぜえ言いながら、なんで海に飛び込んじゃったんだろうっていう後悔と、なんとか泳げたという安堵感と、また手を離した瞬間から波にのまれて、また、足つかない!波早い!溺れる!って思いながら、バタバタし続けてる。ほんと泳ぐのが下手で困る。いつかソースコードの海を気持ちよく泳げる日はやってくるのだろうか。

今週末は対外的にいろいろあるのだけど、ここ数年、自分なりに悩んで考えて、気持ちが上がったり下がったりしながら、それでも自分が歩みを止めちゃったら、全部が止まっちゃうから、ただの思い出になってしまうから、そういう立場にあるので、気を悪くする方がおられることだって、見たくない方がいることもわかっているのだけれど、わかっているんだけど、終わらせることは簡単なんだけど、いまこの状況になっていることを、全てを説明したり、感じてもらうことはできないし、おこがましいし、お前はいい加減にしろと、そういう感じではあるのですが、それは自分でもわかってるつもりで、自分が作ってないものを、自分が作ったかのように振舞うのは、絶対にできない。でもたぶん全然伝わらない。放っておいてほしい、そっとしといてほしい、手柄を取ったような、人のもので稼いでるような、そういう嫌な想いをされても仕方ない。自分の判断で、歩みを止めることもできるのだけど、なんだけど、あの頃の熱量とか、目の前の人の喜ぶ顔とか、できあがることへの感覚、あのとき夢を見た気持ちが、体験者に伝わって、共感されて、そういう物づくりをしていて、そういうものだけが手元に残ったときに、自分の手にだけ残ってしまったときに、これをそっと、置けなくて。もう少し、この手の中の光を、抱えて、走らないといけない気がしていて。謝ることしかできないけど、わかってくださいなんて、とても言えないけど、何度も何度も立ち止まって、後ろ振り返って、謝って、ほんとにこんなことしてていいんだろうかと、悩んで、手の中の光をよく見て、また謝って、でも、やっぱすごい光で、ほんとうにすごい光で、その光に魅了される人がたくさんいて、んで、自分もその光に魅了された一人で、それを抱えていて、抱えることになって、置くと光が消えてしまいそうで、やっぱ、自分には足があるから、走らないとって。そんなことを考えています。