カレンダーアプリとToDoアプリは身体にチップでも埋め込まない限り、一生しっくりこない気がしている。試してはやめてを繰り返し続けるんだろう。
2017年ごろからは、Googleカレンダーが 予定 兼 ToDo 兼 作業日記 になっていて、時間単位で何をしたか確認できるようにしている。案件がポシャった時に実稼働何日だったかわかりやすい。そんなことは無い方がいいんだけど。
最近は睡眠時間や食事も残している。忙しくて寝れてないなあと思っていても、意外と寝ている。結局疲れの原因なんて、ただのストレスだったり。あと家計簿だけ苦手。これもどうにかGoogleカレンダーに取り込めたらいいんだけどなーなんて、最近考えてる。
ココノヱがdot by dot、PARTY New York & Taipei合同の新会社に参加するという方針が決まったのは、
10/25の社内ミーティング。
何かブログを書きたくなったときも、カレンダーはすぐ見返せるから便利だ。その一週間後に、大好きで青春そのものだったRIP SLYMEが活動休止してショックだった。もう3ヶ月経ってた。
こんなタイミングもなかなかないので、Whateverが大好きになってココノヱの記憶が消え去る前に、
少し思い出話をしておこうと思います。(ここから長い回想シーンのため、そっと閉じるなら今)
中にいるとココノヱっていう会社の知名度やウワサなんかはよく分からないんですが(悪い話も今なら言えるとかあったらぜひ聞きたい)、 少なくとも10年前、外から見た「ココノヱ」は自分の中で憧れだった。まだ名前もココノヱじゃなくて「ナショナルベーシックデザイン」だった頃から、大阪のWeb制作会社に在籍しながらサイトをよく眺めてた。
当時は岡山空港、岡山一番街、オハヨー乳業、カンコー学生服など、地元の人間には馴染みのあるサイトを多く作っていて、 あとProgressionというFlashのフレームワーク(あれ、Papervision3Dの何かサイトだったかな)の制作事例に岡山一番街の特設サイトが載っていたり、ビルのような自社サイトにリニューアルしたあたりでWebDesigningかWebCreatorsに載っているのを見たりして、地元岡山で、今勤めてる会社より面白いことしてるWeb制作会社があると思うと嬉しくなったのを覚えてる。
2008年、大阪であったFPS(Flash Power SessionっていうFlashのイベント)に、 Flashを始めるキッカケになったRAKU-GAKIの西田さんが登壇されるのを知って見に行ったとき(懇親会でお会いしたとき緊張し過ぎて握手を求めてしまった)会場でトイレの列に並んだら、前にいたのが宗さん山田さんだった。 うわっココノヱだっ!と思ったけど(だいたい、このタイミングで二人の顔知ってる自分もおかしい)、この人たちと初めて話すのは地元に帰って面接するときだと心に決め、グッと我慢した。そのとき初めてさくーしゃさんや、赤ジャージ着た長井さんを見た。
dotFes京都も楽しかったな。一人で乗り込んだ。京都精華大の綺麗さに嫉妬した。当時バスキュールの澤井さんやセミトラさん、artless川上さんやAR三兄弟さんなど、Webや雑誌でしか見れない方々の講演を生で聞けて(その裏でさくーしゃさん、長井さんのセッションあったのに、いまさらながらすみません)、あと大喜利がとてもとても新鮮だった。クリエイティブで笑わせるってめちゃくちゃかっこよかった。金閣寺から弾出てゲラゲラ笑った。
ココノヱはモテ顔クリニックっていう顔を変形させて美形にする(けど絶対ならない)初のインスタを出展していた。が、決めたルールに則り、横目でチラチラ見ながら隣のワンテンさんが展示してた車のやつを体験してた。
大阪にいた頃、心残りは大阪てら子に参加しなかったこと。全員発表するっていう形式にビビってたなー。 でもUstreamか何かで生配信してて、コソコソとブラウザから見てた。スターリーさんとか、エイドさんの事務所って綺麗だなーって。特にエイドさんは心斎橋で会社が近かったから、ランチ行く時とかたまに前通ってて、このビルかー、クーッてなってた。ココノヱも来ていたエイドさんのパーティで、ランチでよく行ってた本町のカレンダーっていうパスタ屋さん使ってて、ここにいっぱい集まってるのかー、キーッともなってた。
発表無しならいける!と城戸さん奥田さん+てら子のロクナナワークスは行った。城戸さんのスライドの作り込みに震えた。UnityもWebGLもない時代、ブラウザで3Dがヌルヌル動くことに未来を感じてた。でも自分の技術力では、あの頃の到底無理だったなあ。
でも、そんな大阪てら子で宗さんと当時上司だった亀井さんが知り合ったことがキッカケで、なんと大阪で面接していただけることになった。梅田HEP FIVEのスタバ。2時間たっぷり、Flashの制作実績と、いままで話したようなことを聞いてもらった。ストーカーに出会ってしまったと感じたに違いない。
内定も出てないのに岡山の家を決めた。求人もしてないのに、むりやりねじ込んでいただいた。本当にありがたかった。無事、勤め切りました。亀井さん、その節はありがとうございました。今度桃持ってご挨拶に伺います。 (以前、通称かめハウスに大きめな箱のお菓子をお土産に持って行ったら、桃かと思われてガッカリされた。)
入社した2011年4月、昨年のdotFesで作った撃墜王ゲーム(現・らくがきウォーズ)を武器に、これから東京の仕事取ってくるぜ!という気合いの中、東日本大震災があり世の中は自粛ムード。今後会社をどうするかっていう前向きな話をよく集まってしていたような気がする。といいつつ、撃墜王ゲームがカナダのFITCで賞取ったりして、すごく嬉しかったし、オレもやってやるぜ!みたいな20代半ばのギラギラした野望があった。
1年後ぐらいから、バスキュールさんのFlashサイト仕事を何本か担当して、大きな仕事ができる喜びを感じたし、技術的にとても成長させていただきました。作るって大変だと思った。自分の技術が追いつかなくて、たくさん徹夜した。ちょっと泣いた。
大阪時代勤めていた会社は自分がやめた後に大阪から撤退したため、当時のスタッフが色んな制作会社へバラバラに入社していて、Flashチームの同僚で、バスキュールにディレクターで入った片山さんとお互いの大変さを近況報告するのが楽しかった。 入って最初の仕事が、スペースバルーンプロジェクトに関わったと聞いてそれもまた驚いた。 東京出張で久しぶりに片山さんと酒飲んでる時に、楽しくなって上司だった米田さんに突然電話したの思い出した。 夜中だったのに、いつも勝手ですみません。またみんなで飲みに行きたいっすね。
一人で乗り込んだあのdotFesには、今度は出展する側として毎年大変お世話になって、たくさん自社コンテンツを開発させてもらったし、 京都、仙台、福岡と毎年各地でいろんな方と出会えた。それを機会に、その頃学生だった子が入社してきてくれた。今でこそインスタレーションばっかり開発しているけど、当時はdotFesの参加が決まったらスタートする社内の企画会議が楽しみだったし、どの制作会社が参加して何を作ってくるかワクワクした。本当に学祭みたいなノリだった。
2013年dotFes京都用に後輩の長洞と二人で制作した「かくたいこ」という作品が印象的で、あんなに当日の朝までゲッソリしながら作った自社コンテンツは他に無い。赤外線LEDを使った自作タッチパネルのため太陽光に弱く、昼間は実装、日が暮れてからデバッグをして、夜が明けたら帰ってた。今だったら絶対に暗幕する(なぜそんなことに気付かなかったんだろう)。なんだか色んなことが未熟だった。
ふとしたとき、いまでもリニューアルを考えるときがある。今ならもっとよくできるはずっていう誘惑が定期的にやってくる。ある意味、青春だった。長洞を戦友に感じてしまうのは、このときのことが大きいような気がする。
あとは、2016年dotFes渋谷には「ピーポーパニック」というダークでポップなゲームを出展させてもらった。 広告温泉という岡山で開催する広告アワードのイベント用に制作したこのゲームは、ふとしたことでUnityさんに取り上げていただいて、 Made with Unity というサイトでインタビューしていただいたり、Unite2017のランチタイム・トークセッションで登壇させていただり、 いろいろ貴重な体験をさせていただきました。このとき壇上からFlash界隈の方がチラホラ見えて感動した。自分の代わりに話聞きたい人ばっかりいた。 その年のBitSummitでアウトロー賞をいただいたり、最後は文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品にまでなった。うそん。 制作費ないから営業時間外でやる流れだったのに、仕事の手が空いた営業時間内で制作してて、会社で大揉めしたあの作品が。
ありえないことが起きるのは、いつもピーポーパニックだった。
長洞くん、二村さん、蚊野さん、ジュンピー、ありがとう。
そして、dotFes関係者のみなさま、本当にありがとうございました。
最近はコーダーの居郷さん、デザイナーの小桃と三人で、のんびり昼飯を食べることが多くなった。
人は少なくなったが、まあそれはそれで居心地の良い時間だったりする。
東京事務所もでき、会社の体制もあり、各個人の想いもあり、ここ数年、本当にいろいろあった。
夢を見たし、地獄も見たし、たくさん笑ったし、たくさん泣いた。
たくさん泣いたので、ここ数ヶ月は凹んだまま立ち直れずにいた。
自分はただ、ただただ、皆さんに感謝することしかできません。
人生は何が起きるかわからない。
普段関わっている人に感謝して、一番大切な人に感謝して、
いま何かに向かって頑張れていること、いま生きてることを、大事に、
本当に大切なことは何かを噛み締めて、生きていこう。そう思っています。
そして、やっぱり作ることが好きだ。
それしかやってこなかったから。
なんだか長々と書きました。
今までは先輩方に、実はあの時!とか飲みの席で言えたのだけど、最近は年下もいっぱい出てきて、こんな昔話をする先輩は面倒以外の何物でもなく、このブログで吐き出して、自分のココノヱ人生は完結ということにします。出会った全てのみなさま、ありがとうございました。
2019年1月29日、ココノヱはWhateverへ。
自分もWhateverの一員になります。
実感が湧いてなかったりしますが、少しずつ新会社の仕事もしています。かつて遠くから一方的に見ていた方々の中に、自分の写真が紛れ込んでいて、ほんとにほんとに何て言っていいのやら。サイトのトップページ、gifで切り替わるサイトロゴに自分の描いた文字も発表前から含めていただいてて、なんだかドキドキしていました。
引き続き、岡山の旧ココノヱ事務所にて遠隔で働いております。
たまたま近くに来た方はぜひ立ち寄ってください。飲みましょう。
気持ち新たに、超・頑張ります。
どうぞよろしくお願いいたします。